気仙エリア - 代表メッセージ -

Message

- 代表メッセージ -

「震災はいつかは忘れられる」 だからビジネスの力で持続可能な地域に 

「ぶらり気仙」は、東日本大震災から2年後の2013年に岩手県陸前高田市で生まれました。復興支援ではなく、持続性のあるビジネスとして陸前高田の価値あるものを都市部で販売し、都市部の人たちを陸前高田に呼び込みたい、そんな思いで私はこのまちでの起業を決意しました。
 
東京出身の私と陸前高田とのご縁が生まれたきっかけは、私の拠点のひとつである下北沢の商店街での被災地支援の募金活動でした。陸前高田出身の若者が商店街のアパレルショップで働いていたことから、商店街で募金を集め、陸前高田に届けることになったのです。
 
商店街と連携した情報発信やイベントの企画をしていた私は、募金をお渡しするため、商店街の役員とともに陸前高田に向かいました。2011年秋のことでした。震災から約半年後のまちは、がれき撤去は進んでいたものの、廃墟となった建物や流された住宅の基礎が残り、復興がまだ始まっていないことを実感しました。
 
このままこの地域は忘れられてしまうのではないか……不安がよぎりました。それは私の父方のルーツが神戸にあり、被災した友人から「神戸は被災して3ヶ月で忘れられた」と聞いていたからかもしれません。実際、東日本大震災から1年たとうとする時期に調べてみると、「東日本大震災」というキーワードで検索された件数は、震災直後の約10分の1に減っていました。
 

陸前高田の価値あるものを都市部に届け、地域に人を呼び込む

初訪問以来ずっと陸前高田のことが気にかかり、2012年3月と4月に再びまちを訪れました。自分がこのまちで何ができるのか、何をしたら復興の力になれるのか、考えるためでした。
 
昼間は仮設商店街や水産加工業の事業者などを回って歩き、夜になると、知り合った人たちの家に招かれて、そこでこれからの陸前高田のまちのこと、産業のことについて語り合う、そんな時間を過ごしました。津波で家族が行方不明のままの男性、自宅や船、養殖施設を失った漁師……私の想像を絶する苦難を経験した人たちが、地域のことを思い、復興に向かった歩み始めていることを知り、「このまちで生きていく人たちのために何かお手伝いをさせていただきたい」。思いは強くなりました。
 
一方で、この時の訪問で、陸前高田には牡蠣やホタテ、ワカメ、イシカゲガイなど高品質の海産物がたくさんあること、そして津波を経てなお、多くの漁師は再び海に戻り漁業を再開していることを知りました。初めて陸前高田のワカメを口にした時、彼らの海産物は間違いなく東京の消費者に喜ばれると確信しました。
 
「陸前高田の海産物を東京の消費者に届け、その価値を知ってもらいたい」。
まず下北沢でのイベントの販売からスタートしました。予想した通り、陸前高田の海産物は好評で、あっという間に完売し、多くのファンがつきました。
 
イベント販売の合間には、陸前高田に赴き漁師のもとに足を運び、イベントやインターネットで商品を売らせてほしいと頭を下げて回りました。最初は半信半疑だった漁師たちも、何度も足を運び、時には一緒にお酒を飲むうちに、少しずつ信頼してくれるように。こうして、ぶらり気仙を通じて商品を販売してくれる漁師が増えていったのです。



東京都出身。慶應義塾大学卒。IT(富士通株式会社)、銀行(みずほ銀行株式会社)、コンサル、会計事務所と異なる業種にて、大企業〜中小企業の経営をサポートし、実務経験を積むと同時にビジネススクールにて、経営学、財務/経営管理会計、マーケティング、プロジェクトマネジメント等を習得。
2009年11月より広域下北沢にて情報サイト“ぶらり下北沢”をはじめとする、エリア活性化事業をスタートし、6つの商店街ならびに3町会(自治会)、そして約600店舗(増加中)とのネットワークにより、下北沢そして行政:世田谷区との共同体制により、メディアを巻き込んだプロモーション活動を展開。
(公財)東京都中小企業振興公社 専門家としてアドバイザリー業務(組織運営、商店街/個店支援、イベント運営など)にも携わり、事業運営と事業サポートの双方からエリア活性化を展開。 2013年4月には、陸前高田市に合同会社ぶらり気仙を設立し、情報ポータルサイトを通じた情報発信ならびに気仙エリア商品の外部販売、交流人口増加(2013年秋より本格化)、他地域との連携を通じた外部需要獲得を通じた気仙エリアの活性化に従事。